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インドのヒットメイカー、カラン・カンチャン(Karan Kanchan)さんのトーク
日時:2023年6月10日(土)

2023.07.14

場所:国立民族学博物館第一会議室
司会・監修:軽刈田凡平

カラン・カンチャン(Karan Kanchan)さんのプロフィール:

2010年代前半からEDMの影響を受けてビート制作を開始。その後、トラップやベースミュージックに傾倒。

和楽器バンドや吉田兄弟ら、日本の音楽にも興味を持ち、和風の要素を取り入れたJ-Trapというジャンルを作り出す。

その後、映画『ガリーボーイ』のモデルであるインドの最重要ラッパーDIVINEやNaezyにビートが採用され、一躍インドのトップビートメーカーとなる。

以降多くのラッパーやシンガーと共演し、ヘヴィなトラップからポップなR&Bまで、多様なスタイルのビートを作っている。

彼がビートを手掛けた曲は、Netflix作品の主題歌やPUMA等海外ブランドのプロモーションにも起用され、最近ではインド版Red Bull 64 Bars(様々なラッパーが64小説のラップを披露する世界各国でRed Bullが主催している企画)のビートを全て手掛けるなど、活躍の場を広げている。

前述の和風フュージョン以外にも日本の音楽に詳しく、シティポップから最近のJ-POPまで幅広い知識を持つ。

軽刈田凡平

はじめにお伺いしたいのですが、どのような経緯でビートメイカーになったのですか? ビッグルームEDMなどがお好きだと仰っておられましたよね?

カラン・カンチャン

そうです。私には音楽的なバックグラウンドはありません。家族は誰も音楽をやっていませんから。インドでは、子どもはたいてい、エンジニアか医者になることを期待されます。なので、音楽の道に進みたいと両親を説得するのはとても難しいのです。私は、正直なところ、あまり多くの音楽を聴いてきませんでした。聴いていたのは、両親が家でかけていた音楽くらいです。

祖母は歌手でしたが、プロの歌手ではありませんでした。家族はみな音楽が好きでしたが、その道に進んだ人はいません。私の場合、YouTubeで多くの時間を費やしていて、きっかけはアクシデントのようなものでした。くわえて、小さいころからインターネットにアクセスできたことも幸運でした。父はコンピュータ科学を専門としていました。だから、私の家には小さい頃からインターネットがあったのです。そこで、YouTubeを何時間も見て過ごしました。ある日、YouTubeが勧めるある曲に偶然目が留まりました。そのとき、その曲に瞬時にクリックすることに決めたおかげで、私は音楽家になったようなものです。それは、当時のEDMの曲でした。ティエストの曲(*1)でした。

その曲を聴いたとき頭が混乱しました。この音はどうやって作っているんだ、と。普通の学校に通う子どもだったので、楽器は、ピアノ、ギター、ドラムくらいしか知りませんでした。でも、そのEDM(electronic dance music)を聴いたとき、このシンセ音はどうやって作ってるんだろう、これは何の音で、どんな風に作るんだろう、と好奇心をそそられたのです。興味津々でした。それで、○○のような曲の作り方、××みたいなものの作り方といったように、ネットで答えを探し始めました。

2012年から13年頃のことです。当時はまだ、YouTubeでもチュートリアルの動画が少ない頃でした。さらに、ソフトウェアとは何か、オートメーションとは何か、それから、ミキシングやコンプレッションといった言葉も専門用語も何も知りませんでした。そういったことについて何も知らなかったのです。そこで、純粋に好奇心から質問をし始めたのです。今でも質問はしています。そんな風にして音楽制作の世界に入っていったのです。

それから、DJにもとても興味を持ちました。そうやって、まず電子音楽の世界に入り、そこからゆっくりとベースミュージック、トラップにシフトし、最終的にヒップホップにたどり着いたのです。

*1 2021年7月に軽刈田が行ったインタビュー(http://achhaindia.blog.jp/archives/26475012.html)によると、その動画は、2010年のUltra Music FestivalでのTiësto vs Diploによる “C’mon”(https://www.youtube.com/watch?v=gujB7A5ycew)だったとのこと。

軽刈田凡平

ここで、彼の曲を再生してみたいと思います。

DIVINE “Bonfire feat. Russ”
https://www.youtube.com/watch?v=rQy5qaCJnGQ

カラン・カンチャン

この曲はラッパーのDIVINEと一緒に作りました。DIVINEはインドの超大物のラッパーです。インドのヒップホップシーンを代表する人物の一人で、ヒンディー語でラップします。インドのヒップホップシーンを発展させる上でとても重要な役割を果たした映画『ガリーボーイ』(Gully Boy)も、彼の半生を題材にしている部分があります(*2)。この曲は彼の3枚目のアルバムに含まれる曲です。僕はこのアルバムで4曲プロデュースしましたが、これはそのうちの1つで、アメリカのラッパーで世界的に有名なアーティストのRussもフィーチャーしています。

*2 DIVINEは、映画『ガリーボーイ』で主人公の兄貴分的な存在のラッパーだったMCシェールのモデルとなった。彼は、ヒンディー語で「細い路地」を意味する「ガリー」という単語を、ヒップホップ的な「ストリート」といった意味合いで使い始め、ヒンディー語ストリートラップを代表するアーティストとなった。ちなみに、Karan Kanchanは同作の主人公ムラドのモデルとなったラッパーNaezyにもビートを提供したことがある。

軽刈田凡平

ビートを作り始めたのは2013年からでしたっけ?

カラン・カンチャン

そうです。

軽刈田凡平

あなたは、インドのインディペンデントのビートメイカーの第一世代ではないでしょうか。

カラン・カンチャン

おそらく第二世代です。第一世代は、Nucleyaや Bandish Projektだと思います。(*3)彼らが最初に始めた人たちです。私たちは、インドの電子音楽制作者の第二世代にあたります。といっても、まだ誕生したばかりですが。インドでは、文化は非常に限られているのです。こうしたものは、クラシック音楽などのように、古典的なものと見なされないうちは、追いかけることを許されていません。家族が子どもたちに勧めるのは、ふつうは古典音楽とかそういったもので、そうでない限りは追求することは認められません。より西洋的なものを試してみるのは、私たちにとってはまだ異例のことです。

でも、今では多くの若者が、インターネットのおかげでそういったものを試してみることができます。情報もすぐにたくさん手に入るので、誰もがすぐに音楽を作れます。とても簡単だと思います。誰でもソフトウェアをダウンロードでき、ループを使って作曲できるのです。

そして今では、サウンドを組み立て、サウンドの選択にどれだけ秀でているかが重要になってきました。もっと正確に言うと、テイストを作るということです。重要なのは、自分のテイストがいかに優れているかであって、音楽を制作できることではありません。何もかもがあまりにも簡単に手に入ってしまうからです。音楽は誰でも作ることができるので、自分だけのテイストを持ち、世界の音楽や、二つの異なるスタイルを組み合わせて新しい何かを生み出す方法について学ばなければなりません。

*3 Bandish Projektは、ビートメイカーUdyan Sagarとタブラ奏者のMayur Narvekarによる電子音楽とインドの古典音楽を融合したユニットで、2009年に “Correct”というアルバムでデビューした。Nucleyaは、Udyan Sagarによるソロプロジェクトで、2015年にリリースされたアルバム“Bass Rani”は、インド的なサウンド導入したベースミュージック/トラップ作品で、同作にはDIVINEも参加している。インドのヒップホップシーンの急速な成長にともなって、Udyan SagarやKaran Kanchanのように、ベースミュージック/トラップからキャリアをスタートしたアーティストがラッパーにビートを提供する例も増えていて、他には、Su Real、Gurbaxらがいる。

軽刈田凡平

インドの音楽シーンでは、インターネットが非常に重要な役割を果たしたということですね?

カラン・カンチャン

その通りです。ご存じの方がいるかわかりませんが、インド有数の資産家が経営している、Jioという大手の通信会社があります。彼は、通信事業に参入して業界全体を抜本的に変革しました。参入してSIMカードを激安価格で売り始めたのです。こうした人びとのおかげで、農村部を含むインドの大部分ではインターネットを非常に安価に利用できるようになりました。

そのおかげで、多くの人が同時にインターネットに接続できるようになったのです。さらに、そのおかげで、ご覧のようにインド人ユーチューバーの数が劇的に増え、誰でもオンライン・コンテンツを作成できるようになったのです。Jioの市場参入は、インドのインターネット・オーディエンスの増加に大きく貢献しました。この数は現在も日々増え続けています。インドでは、今この瞬間にも、多くの人がインターネットを利用しています。

SpotifyやAppleといった多くの国際的なブランドも、インドにおけるオーディエンスの重要性を理解し始めています(*4)。Spotifyがムンバイに本社を開設し、Apple Musicもムンバイに本社を開設したのはそのためです。

インドにはたくさん観客がいる、オーディエンスがいるということを誰もが知っています。その数は今も増え続けています。もちろん、安く利用できるようになって、ある意味ほぼ無料になったインターネットが非常に大きな役割を果たしました。これは、本当に良いことです。独自に音楽をやっているインディペンデントのアーティストでも、動画を撮影し、すべて自分でやって、YouTubeのチャンネルにアップして、ネットで拡散することができます。DIVINEもそうやって有名になりました。インドの音楽シーンにおいて、インターネットは間違いなく非常に重要な役割を果たしました。

*4 インドでは、もともと廉価なJioSaavnやWynkといったストリーミングサービスの利用者が多かったが、今ではSpotifyが26%のシェアを占めるトップに位置している(https://www.statista.com/statistics/1381919/spotify-music-stream-share-in-india/)。Karan Kanchanは、Spotify Indiaがムンバイで開催したイベントRap91(91はインドの国番号)にラッパーを伴わないソロアーティストとして出演しており、また彼の腕には自身のプレイリストのSpotifyコード(バーコードのようなもの)をリンクしたタトゥーが彫られている。

軽刈田凡平

インドのインディペンデントの音楽シーンは2010年代に発展しましたね。とりわけ2015年頃から大きく成長したと思います。それはインターネットのおかげだったのでしょうか?

カラン・カンチャン

そう思います。今ではインドでも海外の曲が簡単に手に入るようになりました。それ以前の2000年代には、CDはすべて海賊版で、手に入れられる人はほとんどおらず、別のディスクにコピーされて広まっていました。インターネットがなければ、同じ趣味の人を見つけるのはとても難しかったのです。

インドで最初に起こったことの一つは、まだOrkutが人気だった頃のことでしたが、MySpaceの後にOrkut(*5)が人気になり、インドではOrkut上でInsigniaというラップバトルがよく行われていました。そして、多くのラッパーがオンラインで友人を見つけ、オンラインでラップバトルを行うようになりました。そこから大きくなっていったのです。素晴らしいコミュニティができ、リアルな世界でもラップバトルが行われるようになったのです。

ムンバイのB3というグループがあります。彼らはよくサイファーを主催していました。実のところ、それが始まりでした。これらの動画はYouTubeにたくさん上がっています。B3 Cyphersと呼ばれています。古い動画の中には、DIVINEが後ろの方に映っているものもあります。誰もがただそこへ来てパフォーマンスし、誰もが互いにサポートし合っていました。彼らにはわかっていたのです。これが自分たちが持っているもので、そこにいる多くの人びとだけがこの種の音楽を理解できているのだということを。

DIVINEとNaezyがやったMere Gully Meinのような曲が有名になるまで、それ以前は、ある意味でなり孤立していました。彼らがやっていることを理解できたのは、ごく少数の人たちだけだったのです。

そのため、より多くの人がそれを消費し、ラッパーとして彼らがしようとしていることをより多くの人が理解できるようになるためには、この音楽がもっと商業的になり、もっと大衆に好まれることが重要でした。こうしたことは、人びとがインターネットなどのあらゆるものを利用できるようになり、自分で動画を撮影してYouTubeにアップできるようになった、2015年辺りから徐々に起こり始めました。インドのヒップホップシーンはそうやって始まったのです。Orkutからオンラインのラップバトルへ、そしてリアルのサイファーへ、という具合に。そして、あるPVがインターネットに旋風を巻き起こしました。このようにしてインドのシーンはスタートしたのです。

*5 Orkutは2004年にサービスが開始されたGoogleの運営によるSNS。とくにインドで多くの利用者を獲得していた。

軽刈田凡平

ヒップホップシーンはOrkutで生まれたと言ってもいいのでしょうか?

カラン・カンチャン

厳密には違うのですが、概ねそうだと言えます。

軽刈田凡平

その当時は、インドではヒップホップはそれほど人気ではなかったのですね。

カラン・カンチャン

ええ、まったくと言っていいほど。

軽刈田凡平

インド全土にヒップホップのファンはいたと思いますが、彼らはOrkutによってつながったのですね。

カラン・カンチャン

そうです。

軽刈田凡平

そして、Orkutでラップバトルをやった。そのラップバトルは、テキストのみですか?

カラン・カンチャン

当時はそうです。

軽刈田凡平

なるほど。

カラン・カンチャン

その後は、オンラインでやるようになりました。YouTubeでB3を見ると、ライブでラップバトルをやっています。

軽刈田凡平

どの言語を使っていますか?

カラン・カンチャン

ヒンディー語です。当初は英語がほとんどでした。誰もが英語でやっていました。 それは、彼らが西欧から学んだものだったからです。みな、50セントの大ファンでした。インドでは50セントの曲がとても流行りました。ショーン・ポールも(*6)。多くのインド人が彼らの曲を身近に感じていました。その後、人びとは彼らの曲を真似し始めました。英語だったのはそのためです。最終的には自分の母語でやる自信を持つようになり、より多くの人がインド人ラッパーたちの曲を理解できるようになりました。同じ言語でラップしているため、ヒップホップや海外の曲を聴いたことのない人でも、彼らの言っていることを理解できるようになったのです。ラッパーが自分と同じ言語でラップをするようになったのですから。

*6 DIVINEがラップに興味を持ったきっかけは、学校で友人が着ていた50セントのTシャツを見て「それは誰?」と聴いたことだった。また、『ガリーボーイ』の主人公のモデルNaezyはショーン・ポールの曲をコピーすることからラップを始めている。

軽刈田凡平

なるほど。ご自身は、ビートメイカーになった後でJ-trapという音楽ジャンルを創造されましたね。日本の音楽はどうやって見つけたのですか? なぜこれをミックスしようと思われたのですか?

カラン・カンチャン

前にもお話ししたように、私は、たくさんのダンス音楽、EDM音楽を作っていました。まだ2015年のことです。その年に初めてコンサートへ行きました。それまでは、非常にEDM的な、ダンスフェスティバル的な音楽を作ろうとしていました。そしてコンサートへ行き、これが人生初のコンサートだったのですが、Major Lazer、Gorgon City、Big Gigantic、Giraffageといったラインアップをすべて観ました(*7)。こういったアーティストがパフォーマンスをしたのですが、彼らはみな、それぞれに異なるサウンドを持っていて、それぞれに個性がありました。コンサートに行って、このことを理解したのです。

コンサートの後、電車に乗って帰る途中で、自分があのステージにいたら観客は自分のことをどう思うだろうと考えたのです。自分の個性や私のサウンドをどう捉えるだろうかと。

そこで、2016年は活動を休止しました。曲は何もリリースしませんでした。ただ、別のジャンルを試して自分のサウンドを見つけようとはしました。毎週、何か新しいことを試して。YouTubeを開き、こういったタイプの音楽の作り方、ローファイの作り方、フューチャー・ベースの作り方なんかを勉強しました。できるだけ多くのサウンドを吸収しました。自分にしっくりくる音を探していたのです。そし2016年の暮れに、吉田兄弟と和楽器バンドを通じて、数々の日本の古典音楽とついに出会ったのです。「あ、このサウンドはかっこいいぞ」と感じました。当時は多くのサウンド・デザインやベースミュージックの実験も行っていて、そこで両方を組み合わせてみようと思いついたのです。

*7 以前、軽刈田が行ったインタビュー(http://achhaindia.blog.jp/archives/26475012.html)によると、このコンサートはムンバイで行われたアメリカのダンスミュージックレーベルMad DecentによるイベントMad Decent Bloc Partyだったという。

一曲作ってみて、これは自分の友人や知人が作っているサウンドとは違うと感じました。それで、これを使って、自分のアイデンティティとして、自分のためのサウンドを作ってみようと考えました。多くの時間をそのことに費やし、アーティストとしての自分のプロフィールをどう視覚化し、ブランディングしたいのかを考えました。私はジャーナリズムとマス・コミュニケーションの専攻で大学を出ているのですが、ビジュアル・コミュニケーションと呼ばれる分野があります。そこでは、キャラクターをブランディングする方法なども学んでいたのです。

そのようにして、ブランディングの側面にとても興味を持ち、アーティストのイメージに関わるあらゆることにも興味を持ちました。多くの時間をブレインストーミングに費やし、考えをまとめました。自分がこれをやった最初の人間だと言うつもりはありません。これまで同じようなことをやった人間がたくさんいることは知っています。でも、私は、一曲だけじゃなく、数多くの曲で試してみたかったのです。たいていは、日本の古典音楽と、例えばベースミュージックにインスパイアされた曲を一曲だけ作ります。でも、私はもっと試してみたくなったのです。どんなふうになるかな、別の曲でさらにこれをするにはどうすればよいかな、とあれこれ考えながら。

そんな風にして組み立てていきました。文字通り、YouTubeの三味線動画から三味線の音をサンプリングして、自分のサンプラーで再生して。そうやってJ-Trapを作り始めました。

軽刈田凡平

J-Trapは、私にとってまったく新しいものでした。ローファイ・ヒップホップは、すでに日本の文化やアニメなどと結びついていますし。

カラン・カンチャン

そうですね。

軽刈田凡平

でも、ベースミュージックやトラップを日本文化とミックスしようとした人はいません。

カラン・カンチャン

実は、私が聴いていたアーティストの中に何人かいます。例えばIso:Rというアーティストです。うろ覚えですが、たしか彼にはKimuraという曲があります。とてもヘビーな曲で、これも日本の古典楽器をたくさん使っています。これも、私にとってのインスピレーションの一つでした。こういうことをやっている人はたしかに少ないかもしれませんが、他にもいます。

軽刈田凡平

ここで、彼が作ったJ-Trapの曲を聴いてみましょう。

Karan Kanchan ft.VinDon “Black Belt”
https://www.youtube.com/watch?v=YcVjxDjlMeo

軽刈田凡平

あなたは私に日本の曲のプレイリストを見せてくれましたが、それにはたいへん驚きました。

カラン・カンチャン

そうですか。

軽刈田凡平

自分の知らない日本の曲がたくさんあったのですから。日本人のミュージシャンでは誰が好きですか?

カラン・カンチャン

たくさんいます。自分が作っている曲とは対極にあるような音楽もたくさん聴いています。インドでは多くのラッパーや友人たちとヒップホップを作っていますが、個人的にはヒップホップはそんなにたくさん聴いていません。

私は今、どちらかというとプロデューサーとして話をしています。私は、ヒップホップだけでなく、あらゆる音楽をあらゆる人のために作れる作曲家兼プロデューサーになりたいのです。ヒップホップは成長過程にあって、私はそれを学びたかったのです。幸運なことに、これまで優れたアーティストと仕事をすることができました。

プロデューサーとしての私がやるべきことは、アーティストをA地点からB地点に進めることにあります。曲の始まりから曲の終わりまで、できるかぎり少ないステップで。アーティストができるだけ簡単に自分のビジョンを発信できるように。これが、現時点で、私がプロデューサーとしてインドの市場に提供しているサービスです。だから、今は自分をヒップホップ・アーティストとしてブランディングすることはしていません。今はプロデューサーとして、あらゆる種類のものを生み出したいと考えています。

正直なところ、私はもう少しヒップホップを聴くべきなのかもしれません。アルバムが世に出るのを待って、どの曲が流行るのかを確認し、何が観客にハマるのか、どんな曲が平均的な消費者によりマッチするのかを理解するように努めて、それらを私にできる方法で活用したいと思っています。

ただし、自分が聴く音楽となるとまったく逆です。私はポップスをよく聞きます。ポップスの大ファンなのです。日本のシティポップも大好きです。ネットでは今とても人気がありますね。これもYouTubeで見つけました。多くのアーティストの名を挙げられます。まず、吉田兄弟。それから和楽器バンド、ベビーメタル、新しい学校のリーダーズなんかも好きです。Awichも大好きです。Awichは素晴らしいです。最近見つけたラッパーには、Maddy Somaがいます。

彼はとてもいいですね。「これは最高だ!」って思いました。あとCandeeもいい。彼らとはつい先日、オンラインで会いました。これらの人たちは、どちらかというとラップやヒップホップの人たちです。それからシティポップでは、竹内まりや、大貫妙子、松田聖子さん、こういったアーティストたちの曲が大好きです。いつも聴いています。杏里もいいですね。

軽刈田凡平

それでは、フロアからも質問があればお願いします。

矢野原佑史

インドではどのようなソフトウェアが使われているのですか? ハードウェアも使用していますか?

カラン・カンチャン

ヒップホップに関していえば、ほとんどの人はソフトウェアを使用しています。というのは、始まりが遅すぎたものですから。西洋のヒップホップと同時に始まっていれば今とは異なる環境になっていたかもしれません。でも、今や誰もがノートパソコンやデバイスを持っていて、Spliceを使っているので、ほとんどの人がソフトウェアを使っています。ハードウェアを使っている人はあまりいません。キーボードの使い方を知っている人はほとんどいないと言っていいかもしれません。サンプリングをやることもあるかもしれませんが、ほとんどのヒップホップは、すべてコンピュータの中で作られています。

矢野原佑史

「キーボードの使い方を知っている人はほとんどいない」というのは、「楽器の鍵盤は使わず、コンピュータのキーボードしか使わない」という意味ですか?

カラン・カンチャン

(楽器のキーボードを使う人は)ごくわずかです。私が知っている人は全員、ほとんどの場合、パソコンのキーボードしか使いません。セッション・ギタリストを呼んで録音したものからループを作ることもありますが、ドラム・パートなどはすべてコンピュータでプログラムしています。

矢野原佑史

サンプリングはどうでしょうか?

カラン・カンチャン

インドでは、ボリウッド音楽のサンプルの許可を得るのが非常に難しく、できたとしてもとてもお金がかかります。でも、私は運がよかったので、サンプルの許可を得たインド初のヒップホップの曲をプロデュースしたのは私でした。「Baazigar」という曲です。映画の曲です。すごく人気があります。元の曲も人気があります。私はそれをドリルビートへとサンプリングしたのですが、インドでかなりバズりました。Instagramでは約200万回再生されました。

DIVINE “Baazigar feat. Armani White”
https://www.youtube.com/watch?v=6Z7tW64jpTM

今では多くの人がサンプリングを試みていますが、法的には非常に難しいです。私たちが最初の曲を作ることができたのは、運がよかったからです。

ダースレイダー

日本では、ボリウッドのサウンドトラックが好まれています。古いインドの曲などがファンキーだと受け取られています。そうした曲をサンプリングするのですか?

カラン・カンチャン

そうです、古いボリウッドの曲です。古いボリウッドの曲の作りは、アレンジが豊かで、何層ものレイヤーがあり、パーカッションやリズムも非常に細かい。こういった曲のトーンがとても好まれています。インドのメロディ、そうした古い曲は、インド人にとってたいへんノスタルジックなものなのです。だから、そうした曲を新しいドラムなどと一緒にサンプリングした曲はとても好まれます。

軽刈田凡平

インディペンデント音楽の時代が登場する以前は、ボリウッドの市場があまりにも巨大で力を持っていたために、容易にサンプリングを認めてもらえないわけですね。

カラン・カンチャン

そうです。ボリウッドというか、インドでは、最近になって、ようやくインディペンデントのシーンが登場したのです。市場シェアの大半、おそらく92%はボリウッド音楽が占めていて、インディペンデントの音楽のシェアはごくわずかです。そこから、さらに異なる分野に分類されます。たとえば、地域ごとの音楽があり、これらは神に捧げる宗教音楽などです。これらも非常に大きな役割を果たしています。ボリウッドが大きすぎるので、インディペンデントの音楽が占める割合はとても小さいのです。日本のアニメーションのようなもので、インドといえばボリウッドであり、タクシー運転手から大企業のCEOまで、誰もが映画館へ観に行きます。誰もが映画に親しみを持っていて、誰もがその音楽を愛し、映画音楽に携わるミュージシャンは才能があり、実のところ曲も素晴らしいのです。

私自身も西洋音楽やその他の音楽は好きですが、インド人としてボリウッドの音楽は大好きで、素晴らしいと思っています。とてもユニークだと思います。世界中のどこを見ても、インドほど映画音楽が人気のある国はないと思います。内容が親しみ易いので、それを聞けば誰でもすぐに立ち上がってそれに合わせて踊ります。クラブでボリウッドの曲を流すと、その場は一瞬にして金曜の夜に変貌します。すごいことだと思います。

ボリウッド音楽はたしかに偉大ですが、インターネットのおかげで人びとはついに力を手に入れ、今ではインディペンデント音楽の市場が登場しています。同じ理由で、つまりインターネットのおかげで可能になったわけですが、それがなければ生き残ることは難しかったでしょう。インドにはとてつもない数の人がいて、今では人口がほぼ世界一だと思います。その利点は、音楽を作れば誰かしらそれを聴いてくれる人がいることです。あまり大勢の人が聴かないような非常に珍しい曲を作ったとしても、オーディエンスの絶対数が多いので、聴いてくれる人は見つけられます。ただ、自分の音楽を世に送り出せばいいのです。

島村一平

日本のシティポップも聴くことがあるとおっしゃっていましたが、シティポップは、ヒップホップのビートとは合わない気がします。シティポップをインドのヒップホップにサンプリングしたことはありますか?

カラン・カンチャン

まだありませんが、いつかやりたいです。The Weekndがやったことがあるのは知っています。『Midnight Pretenders』をサンプリングしています。さまざまなことができると思います。ヒンディー語のボーカルでやったら面白いでしょうね。

中野幸男

興味深いお話ありがとうございます。著作権についてお聞きしたいのですが、作曲する際に、サンプルの使用について問題に直面したことはありますか?

カラン・カンチャン

前に述べたように、私たちがサンプリングしたのは一回だけで、映画『Baazigar』からでした。法的に許可を得たのですが、手続きには時間がかかりました。サンプリングの許可だけで二年近くもかかりました。でも最終的には許可が下りました。それ以外は、ほとんどオリジナルの曲しか作っていません。面倒なので、私たちはあまりサンプリングしません。でもやる価値はあります。この曲がヒットしそうだなと思ったら、サンプリングして、投資してみる価値はあります。そうやって作った曲が、SpotifyやYouTube、その他の場所で今や8,000万回も閲覧されています。これはかなりうまくいきました。Instagramは状況がまるで異なります。200万リールといっても、何回視聴されたのかがわかりません。かなりハードです。

それ以外で言えば、私の作る曲はほぼオリジナルです。サンプリング・ベースの曲ではありません。ただ、SpliceやLoopermanといったウェブサイトのサンプルは使っています。そうしたサイトには著作権の問題はありません。でも、今は人気が出てきたので、同じサンプルを使った曲を二つや三つは見つけることができるはずです。元の曲と同じに聞こえないように、慎重に選んでサンプルしなくてはなりません。そうした作業はとても好きです。

一つのパックから一つのサンプルをダウンロードし、別のランダムなパックから別のサンプルをダウンロードして、ユニークなものになるようにそれらをミックスしようとします。そうすると、ある意味で独特のものになり、他の人があまり試したことのないような組み合わせになるのですが、元が何なのかは誰にも分かりません。このような組み合わせを作るには、まったく同じ二つのサンプルを手に入れる必要があります。そうやって、自分の曲が他の人の曲とはまったく異なるサウンドになるようにすることを楽しんでいます。

中野幸男

吉田兄弟は、ボーカロイドを演奏しているイメージがあります。ボーカロイドはご存じですか?

カラン・カンチャン

はい、知っています。とても流行っていますね。

中野幸男

ボーカロイドの音楽についてはどうお考えですか?

カラン・カンチャン

素晴らしいです。テクノロジーが素晴らしいと思います。初音ミクはもちろん知っています。インドではまだ見たことのないコンセプトです。ただ、インドではあまり流行らないような気がします。

中野幸男

日本では、Vtuberの人気が出てきています。

カラン・カンチャン

なるほど。でも、インドでは今のところ目にしていません。インド人はヒーローを好みます。彼はヒーロー、あの人はヒーロー、そういったものが見たいのです。現時点のインドでは、そうしたものとはまだ距離があるように思います。インドで流行るとは思いません。でもボーカロイドの曲は好きです。とても面白いと思います。

中野幸男

日本の音楽以外、韓国の曲、K-POPなどについてはどうお考えですか?

カラン・カンチャン

私が聴いている韓国の音楽はK-POPですが、彼らは英語で歌っています。韓国語のKポップは聴いていません。個人的には、K-POPよりJ-POPの方が好きです。よくわかりませんが、特別な理由はありません。個人的な好みだと思います。

とにかく、私がよく聴くのは英語の歌詞で歌われているKポップばかりです。実際の本物のK-POPは聴いていません。これまであまり触れてきませんでした。

中野幸男

ご自身の文化についてはどうお考えですか? 日本では、インドやヒーローのことが話題になったり、人びとはインド映画やインド料理が好きだったりします。ご自身もインド映画をご覧になりますか?

カラン・カンチャン

もちろん観ます。インドでは、映画は人びとの生活に欠かせません。みな映画を観るのが大好きです。日本に来たら、誰もが『RRR』や「Naatu Naatu」について話しているのを聞きました。私自身はまだこの映画を観ていないのですが。でも、日本に来て誰もが知っているので驚きました。(*8)

*8 彼は、インド北部のヒンディー語のヒップホップシーンを中心に活躍していて、ムンバイやデリーのラッパーとの共演が多い。『RRR』はインド全土でヒットしており、ヒンディー語版も制作されているが、もとは南インドのテルグ語で製作された作品であることに留意されたい。彼の出身地ムンバイが位置するマハーラーシュトラ州の公用語はマラーティー語だが、インド各地から人々が集まるムンバイではヒンディー語や英語も多用され、ムンバイで製作される映画や音楽は、インドで最も話者数の多いヒンディー語で作られることが多い。ちなみに、彼の両親のルーツは南インド西部カルナータカ州のマンガロールで、ふだんはヒンディー語と英語を話し、両親とはトゥル語(マンガロールの地域言語)を話すこともあるという。

島村一平

誰もが、ですか?

カラン・カンチャン

そうです、あらゆる人が話題にしています。びっくりしました。私はまだ観ていないのですが。

中野幸男

ラジニカーントについてはいかがですか?

カラン・カンチャン

ラジニカーント、ええ、大ファンです。

中野幸男

彼はタミル人のスターですね。南インド出身ですよね?

カラン・カンチャン

南部、そうです。

矢野原佑史

一つ質問してもよろしいでしょうか。Spliceのサイトを確認したら、あなたのサンプルパックがありました。

カラン・カンチャン

そうですか。それはとても古いものです。

矢野原佑史

でもダウンロードできませんでした。著作権の問題かと思ったのですが……。

カラン・カンチャン

いいえ。ご説明しましょう。Acolyteという会社のためにそのサンプルパックのライセンスを提供したのです。無料のサンプルパックになるはずでした。Spliceにはアップロードされないはずでした。でも、それがSpliceにアップロードされたことをどこからか聞いたのです。私はそれについて何も聞いていませんでした。知らされていなかったのです。なので、そこから削除せざるを得ませんでした。

矢野原佑史

ありがとうございます。お聞きしたいのですが、Spliceやその他のオンラインのサウンドパックのショップは、インドでは大きなビジネスなのでしょうか? あるいは、ビートメイカーはどのような種類のビジネスに参入しているのでしょうか。

カラン・カンチャン

多くの人が使っているのはBeatStarsです。そこでビートを作り、オンラインで販売しています。でも、ユーザーが非常に多いです。使っている人が無数にいるのです。ですので、BeatStarsで注目を浴び、名前を売るのはとても難しいです。BeatStarsにビートがいくつあるかご存じの方もいるかもしれません。数百もののビートが毎日アップロードされています。そんな中で、自分を際立たせるのは至難の業です。

インドでは、多くのプロデューサーが今もそういったことを行っています。しかし、正直なところ、インドのヒップホップ業界にあるお金はまだまだ少ないです。稼いでいるのは、インドの著名アーティストや著名なレーベルと仕事をした一握りのプロデューサーだけです。また、インドでは、プロデューサーにマスターを与えるという考え方が十分に浸透していません。ただ、徐々に変わりつつあります。私たちは、プロデューサーも、曲のマスターなどについて対価を支払ってもらえるように闘っています。そうしないと、インドでは通常、市場が権利を買い取ってしまうのです。市場が前払い金を払ってすべてを買い取るので、曲とは何の関係もなくなってしまいます。インド最大手レーベルの一つであるT-Seriesは、そのような方法をとっています。曲を一括で購入し、アーティストには何も支払わないのです。前払い金だけを払って、その後は一切支払わないのです。だから曲が流行ったとしても、一銭も手に入りません。私たちは今、ヒップホップの業界でこの問題に取り組んでいます。一緒に仕事をしてきた多くのアーティストが応援してくれています。彼らはマスターのシェアだけでなく、パブリッシングのシェアも提供しています。多くの人が、インドの著作権法について学んでいるからです。私たちは今、この状況を変えようとしているのです。

軽刈田凡平

本日は、大変興味深いお話をありがとうございました。