THE WORLD
HIP HOP
STUDIES

辺境ヒップホップ研究会

HIP HOP SCENE

今、ヒップホップが熱い。

アメリカの黒人たちの間で始まったこの文化運動は、瞬く間に広がり、世界中のストリートを席巻している。そもそもヒップホップは、1970年代、ニューヨークのブロンクスの黒人たちによって始められた文化の総称であり、DJ、ラップ・ミュージック、グラフィティ・アート、ブレイクダンスの四つのエレメントから成る。この中でも本研究会が注目するのは、ラップ・ミュージックだ。

この世界に広がるヒップホップ・カルチャーは、アメリカ発の文化が単に受容されていることを意味するわけではない。それぞれのローカルな文化と融合を遂げながら、世界各地で独自のヒップホップ・カルチャーが生み出されている。

インドネシア音楽博物館が保存しているレコードの一部

ヒップホップ文化が盛んであるといった場合、単に文化現象として盛り上がっていることを意味しない。そもそもラップ・ミュージックは社会矛盾に対するアメリカ黒人たちの叫び声として始まった。ラップの世界的な広まりは、人間社会の矛盾がグローバルに共有されていることを意味する。ニューヨークのブロンクスで起きた問題は、ロンドンのイーストエンドやウランバートルのゲル地区で起きている諸問題とも共鳴する。

しかし非欧米圏で歌われるローカルなラップは、言語的制約からか、ほとんどわれわれの耳に届いていない。東ユーラシアを中心としたポピュラー音楽の「辺境」において、どのようなラップ・ミュージックが歌われているのだろうか。またラップを通してどのような社会的現実が歌われているのか。本研究会では、当該地域のウェルビーイングや文化衝突を視野に入れながら比較検討していく。

カザンのストリートアート(カザン・2016年6月)

旧社会主義圏をヒップホップの「辺境」だとするのは、ポピュラー音楽の世界においてこの地域がアフリカやラテンアメリカ以上に周縁に配置されてきたからだ。1980~90年代には、欧米の旧植民地であったアフリカや中南米のミュージシャンたちは、旧宗主国のイギリスやフランスとの関係性の中でロンドンやパリへと進出していった。ワールドミュージックである。しかし、旧社会主義圏諸国のアーティストたちは、90年代初等の社会主義崩壊まで欧米と文化的に切断されていた。その意味で東ユーラシアの旧社会主義圏地域は、まさにポピュラー音楽界では最周縁の「辺境」だったのである。

本研究会は、2022年7月にスタートした。第一回研究会では、モンゴル、インド、ロシア、第二回研究会では、ポーランド、タタールスタン、インドネシア、カメルーン、第三回研究会では、パレスティナ、ウクライナ、日本の和太鼓ラップ、チベット、第四回研究会では、アラスカの先住民やキューバ、ロシア・サハ共和国のヒップホップが取り上げられた。第五回研究会では、イランと中国のヒップホップおよびゲーム文化の中でのヒップホップが取り上げられた。本研究会は、コメンテーターや発表者として、ラッパーのSatussyさん(韻踏合組合)、ダースレイダーさん、ハンガーさん(Gagle)、ヌマバラ山ポールさんなどの実践者の方が参加している点も特徴の一つである。

文責:島村一平

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